伊藤病院から退院してから、元の生活に戻るまで。
当然、日常生活には生活そのものと仕事との両立である。
とはいえ、手術を経験していたのであるから、すぐに入院前の生活には戻らない。
そして、病気療養生活というものを少し満喫しようと思った。
診断書を得て思うこと
診断書は入院直後に伊藤病院へ依頼を依頼した。
退院後2週間までは病院や医師の判断により、自宅療養とされる。
患者によっては1週間や10日間といった希望を出せば、その内容での診断書作成ができる。
私はこの病気療養を”人生における一時的な休み”と捉え、最大2週間の自宅療養としての診断書を依頼していた。
その理由は、下記の通りである。
・当時の職場環境や業務、人間関係に疲弊していた。
・入院手術に対して直前まで上長は信じておらず疑っていた。(たいした病気でもないだろうと軽視し、私の有休取得に理解が乏しかった)
・上司だけではなく、同僚も同様に入院中も業務継続を強要していた。
・今後、この病気との関わり方や自分の人生、会社生活を考える為
それに会社というものは、出社したその日からガチで仕事をやらせる風潮があります。
「出社=健康」で判断されるものです。周囲の人が気遣ってくれるとか配慮してくれるなんて期待する方がどうかと思います。
一人の不在によって仕事が回らない会社や職場がオカシイです。それはあまりにも属人化した仕事のやり方です。
今回の入院に際して、半年以上前から上長に打診していたにも関わらず、上記のような対応や入院・療養中の業務継続を促す職場やその昭和的慣習の上長、仕事第一優先主義の職場では、今後、この病気と向き合っていくにはミスマッチだと感じていたからである。
だからこそ、この”病気療養”という大義を大いに使う術はないと感じていたからである。
勿論、この策がプラスに働く場合だけではない、マイナス要素として働くこともある。
例として、
・病気を理由としての配置転換(不本意な部署異動)
・健康上を理由とした、査定評価が悪くなること
・病気をしたことの社内でのレッテル貼り
想定していない事も起こりうるであろうが、会社にとって”病気療養”はネガティブな事案である。
健康は、自分で守っていくほかないし、会社が何をしてくれるわけでもない。
私自身、50歳をすぎて定年まで10年を切ったカウントダウンに入っている。(定年65歳説もあるが)どちらかと言えば、会社生活における”出口戦略”を考えたい所である。
自宅療養中にしたこと
自宅療養中は、会社の事は忘れて診断書記載の自宅療養2週間+2週間、約1カ月近くの有休をとった。(入院前から会社や上長に対して申請をしていた)
退院時の健康状態は特に問題はなかったが、体重は少し減り、一つ一つの動作が重い。
そして疲れやすくすぐに横になってしまう。寝ている時間の方が多かったと思う。
この間は、リハビリも含め自宅周りを歩く、散歩するなどをしていた。
自分でも驚いたが、少しの段差がある道でつまずき、転んだりもした。歩く足に力が入っていない事を痛感させられた。
自宅では、ドラマの録画を見たり漫画を読破したりして、のんびりと過ごしていた。
会社にいる時の一日は長く感じるものだが、休みの一日はあっという間に過ぎていくもの。
療養中に気を付けたこと
自宅療養中であるから、会社の人とのコンタクトは一切取りませんでした。最低限の必要事項や書類の提出等の手続き以外は、連絡をしませんでした。
当然ながら、会社の人に会うことは一切しませんでした。
理由は、誰がどこで見ているかわからないからです。
病気療養を知っているか否かにもありますが、平日の昼間や夜の繁華街はショッピングエリアにいる事自体が不自然です。
会社の知り合いへの連絡もしませんでした。これもどこでどう話に”尾ひれ葉ひれ”が付いて想定していないような話になっている場合があるからです。
この時期はまだコロナ感染が拡大していましたので、体力が落ちている私が感染したらさらに体力が落ちるばかりですので、自宅やその付近での買い物するのがやっとです。
療養中は楽しく!
小学生の夏休みのような機会でした。
事前に、同じ甲状腺手術を受けた友人から色々と話を聞いたりしてとても参考になりました。
やはり、手術・全身麻酔という行為は相当、カラダへのダメージが大きく自分が思っている以上に体力が落ちていると同時に日常生活を送るという体力も相当必要なんだな、と痛感しました。
この間は会社の事は一切忘れて、思い思いの時間を過ごす事に限ります。
カラダと共にココロの療養も必要です。
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